傾向と対策15 シナリオコンクールは審査員の評価が正しい

シナリオコンクールで大賞を受賞した脚本が公開されると、シナリオコンクールに応募した人たちは、大賞よりも佳作の方が面白いとか、最終審査に残った友達の脚本を読んだけどそっちの方が面白かったとか、なんでこんなのが大賞を受賞したのか意味が分からないと怒る人までいます。

それぐらいシナリオコンクールに応募する人たちが面白いと思う脚本とシナリオコンクールの審査員が評価する脚本は違います。特に今までにない傾向の脚本は、シナリオコンクールに応募する人たちはシナリオコンクール向きではないと思いますが、審査員は新しい傾向の脚本を好みます。

私は月刊ドラマに掲載されたシナリオコンクールの受賞作を読んで感想を書いていますが、初期のころに読んだシナリオコンクールの大賞の受賞作は脚本を読んでも良さがさっぱり分からず、大賞を無視して面白いと思った佳作の方の脚本だけ感想を書いていました。

シナリオコンクールに応募する人たちに脚本を読んで貰って褒められると、シナリオコンクールで大賞を受賞できると思います。それなのに落選してしまうと、今回はダメな審査員に読まれて運が悪かった、シナリオコンクールの審査員の評価がおかしい、と間違った考えになります。

間違っているのはシナリオコンクールに応募する人たちの方です。シナリオコンクールの審査員の評価が圧倒的に正しいです。シナリオコンクールで大賞を受賞したいなら、シナリオコンクールに応募する人たちが面白いと思う脚本ではなく、審査員に評価される脚本を書くしかありません。

シナリオコンクールに応募する人たちが面白いと思う脚本とシナリオコンクールの審査員が評価する脚本は違うので、シナリオコンクールに応募する人たちの意見を聞いて、脚本を修正してはいけません。シナリオコンクールで大賞を受賞するために必要なのは審査員の評価だけです。

シナリオコンクールに応募する人たちの脚本を読んで、このレベルでもシナリオコンクールで受賞できないなら、自分が落選するのもしょうがないと納得するのも危険です。他人は関係なく、落選したのは審査員に評価される脚本を書けなかった自分の責任です。

同じシナリオコンクールに応募して、相手が受賞して、自分は落選して初めて自分の脚本の方が面白くなかったと分かります。一次審査で落ちても最終審査に残っても受賞できてないなら一緒です。最終審査はプロの脚本家など複数の審査員が読むので、それで受賞できてないなら全然面白くない脚本です。

シナリオコンクールに応募する人に酷評されたとか、自分自身で納得できる脚本ではないからといってシナリオコンクールの応募を諦めてしまうのは意味がありません。面白いかどうか評価するのはシナリオコンクールに応募する人たちではなく、シナリオコンクールの審査員です。

自分自身も含めシナリオコンクールに応募する人たちの評価なんて全く信用できません。自分では面白いと思ったものが評価されず、とりあえず応募したものがシナリオコンクールで受賞するなんてことはよくあります。とにかくシナリオコンクールに応募して審査員の評価を知った方が良いです。
この記事のタイトルとURLをコピーする 傾向と対策
傾向と対策