傾向と対策12 楽しんで書いたように書かないと伝わらない

「自分自身が楽しんで書いてほしい」とシナリオコンクールの審査員の講評にはよく書かれています。次回のシナリオコンクールに応募する人に対しての言葉です。シナリオコンクールに応募する人たちは楽しんで書いて応募しているのに「自分自身が楽しんで書いてほしい」と言われてしまいます。

シナリオコンクールは楽しんで書くことが大事だとシナリオコンクールに応募する人に対して精神論を言ってくる人もいます。楽しんで書けたらそれでいいのか。いいわけありません。それでいいなら、シナリオコンクールに応募せずに自分だけで趣味程度に脚本を書いて楽しめばいいのです。

シナリオコンクールは楽しんで書くことが大事とアドバイスしてくるような人は、誰にでも良く思われたい人です。そういう人はシナリオコンクールで落選しても、楽しんで脚本を書けたならいいじゃないかと慰めてきます。シナリオコンクールで落選したのに、何一ついいわけありません。

脚本を書くのが楽しいみたいな人は意外と早くシナリオコンクールの応募を諦めてしまいます。楽しんで脚本を書いていたのに、何度もシナリオコンクールで落選を経験することで楽しくなくなるからです。楽しいから脚本を書いていたので、楽しくなくなると脚本を書くことを辞めてしまいます。

そもそもシナリオコンクールに応募するような人は楽しんで書いてないのか。そんなことはありません。誰に頼まれた訳でもないのに、シナリオコンクールに応募するような人は楽しんで書いていると思います。私はこれなら大賞を受賞できる、受賞コメントはどうしようとか思いながら楽しんで書いてます。

シナリオコンクールに応募する人たちは楽しんで脚本を書いているのに、それでも楽しんで脚本を書いてほしいと言われるのは、なぜでしょうか。楽しんで書いたように脚本を書いてないからです。実際に楽しんで書こうが、苦しんで書こうが、そんなことはどうでもいいことです。

どんなに楽しんで脚本を書いても、シナリオコンクールの審査員には何も伝わりません。審査員は応募された脚本しか読まないので、応募者が楽しんで書いたのか苦しんで書いたのか何も分かりません。審査員に楽しんで書いてきたと思われないと、楽しんで脚本を書いたことにはなりません。

私の場合で言うと、締め切りギリギリに焦って勢いで出したような脚本や遊びの部分が多い脚本が受賞すると、シナリオコンクールの審査員から楽しんで書いてきたと講評されることが多いです。時間の余裕をもって何度も推敲したような脚本は勢いが無く楽しんで書いたことが伝わらないようです。
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